ソフトバンクが国産AI新会社を設立した背景と目的を徹底解説

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ソフトバンクが国産AI新会社を設立した背景には、日本が直面する「デジタル赤字」への危機感と、経済安全保障の観点からAI技術の国内自給率を高める必要性があります。その目的は、海外製AIへの依存から脱却し、日本語や日本の商習慣に最適化された独自のAI基盤を構築することにあります。2023年3月に設立されたSB Intuitions株式会社を皮切りに、ソフトバンクは国産大規模言語モデル「Sarashina(更科)」の開発、Preferred Networks(PFN)との国産AI連合の結成、そしてOpenAIとの合弁事業という多角的な戦略を展開しています。本記事では、ソフトバンクが推進する国産AI事業の全貌について、設立の背景から究極の目標である人工超知能(ASI)の実現まで、詳しく解説します。

ソフトバンクが国産AI新会社を設立した背景とは

ソフトバンクが巨額の投資を行い、国産AIの開発に踏み切った最大の背景には、日本全体が直面している「デジタル小作人」化への深刻な危機感があります。現在、クラウドサービス、検索エンジン、OS、そして生成AIの基盤モデルのほぼすべてが、米国および中国の巨大テック企業によって支配されています。これにより、日本国内で生み出されたデジタルデータの付加価値や、クラウド利用料としての国富が海外へ流出し続ける「デジタル赤字」が拡大の一途をたどっています。

もし日本が独自の国産LLM(大規模言語モデル)を持たず、海外製AIのAPI利用のみに依存し続けた場合、日本の産業界は永続的に海外企業へ「知能の使用料」を支払い続けることになります。さらに、AIのアルゴリズムがブラックボックス化され、日本の商習慣や文化的文脈が理解されないまま、誤った出力やバイアスのかかった意思決定が社会基盤に組み込まれるリスクも懸念されています。ソフトバンクの宮川潤一社長が繰り返し強調する「日本の商習慣や文化にあったAI」というフレーズは、単なる機能要件ではなく、文化的主権と経済的自立を守るための防波堤としての意味を持っています。

政府による経済安全保障政策との連動

ソフトバンクの危機感は、日本政府の経済安全保障推進法に基づく政策と完全に合致しました。経済産業省はAI開発に必要な計算資源や半導体を「特定重要物資」に指定し、国策として国産AI基盤の整備を支援する方針を打ち出しています。具体的には、2026年度からの5年間で約1兆円規模という異例の公的支援を行う計画が明らかになっており、ソフトバンクはこの国家プロジェクトの中核プレイヤーとして位置づけられています。

この政府支援は、AI開発における「計算力」「データ」「人材」という3つのボトルネックを解消することを目的としています。特に、米国による対中半導体輸出規制などに見られるように、最先端GPUの確保は国家間のパワーゲームの様相を呈しています。ソフトバンクが国内データセンターにNVIDIA製の最新GPUを大量に配備し、それを国内企業や研究機関に「計算基盤」として提供することは、日本のAI開発力を底上げするための公共財的な側面も帯びているのです。

SB Intuitionsとは——日本語特化型AIの開発拠点

SB Intuitions株式会社とは、ソフトバンク株式会社の100%子会社として2023年3月に設立された、国産生成AI開発の中核を担う企業です。社名にある「Intuitions(直感)」には、「直感を、知能へ(Intuition to Intelligence)」というコーポレートメッセージが込められており、人間が持つ直感的な理解力を超えるAIを実現するという野心が表現されています。

SB Intuitionsの組織体制と経営陣

SB Intuitionsの組織体制においては、ソフトバンクの技術部門を率いてきた丹波廣寅氏が代表取締役社長兼CEOに就任し、技術的なリーダーシップを執っています。さらに、取締役兼CRO(Chief Research Officer)には、元LINE(現LY株式会社)で画像認識やマルチモーダルAIの研究を主導してきた井尻善久氏が就任しました。また、取締役兼CIOにはソフトバンクで次世代データ基盤構想を推進してきた折原大介氏が名を連ねています。この布陣は、単なる通信キャリアの研究部門という枠を超え、アカデミアと産業界のトップエンジニアを結集させた本格的な研究開発組織であることを示しています。

国産LLM「Sarashina(更科)」の特徴と戦略

SB Intuitionsが開発・提供する国産LLM「Sarashina(更科)」は、OpenAIのGPTシリーズとは異なる独自の進化戦略をとっています。その最大の差別化要因は「日本語性能への極端な特化」です。英語圏で開発されたモデルは、学習データの大部分が英語であるため、日本語特有の「ハイコンテクストな表現」「敬語の使い分け」「主語の省略」といった文脈理解において、不自然な挙動を示すことが少なくありません。Sarashinaは、良質な日本語データを中心に学習させることで、日本のビジネスシーンや行政手続きにおいて、違和感のない、かつ正確な日本語生成能力を実現しています。

Sarashinaの開発ロードマップは、実用性と性能追求の二軸で展開されています。まず、企業が自社環境で運用しやすい「軽量モデル」の提供があります。2025年11月には、パラメータ数を抑えつつ高性能を実現した「Sarashina Mini」の商用化が開始されました。このモデルは、4600億パラメータ規模の巨大モデル開発で得られた知見を蒸留し、軽量化したものであり、社内文書の要約や日報作成といった日常業務への組み込みに適しています。

次に、最先端の性能を追求する「巨大モデル」の開発があります。SB Intuitionsは、当初の3900億パラメータ級の構築を経て、最終的には1兆パラメータ級のモデル構築を目指しています。1兆パラメータという規模は、AIが単なるパターン認識を超えて、高度な推論や創発的な能力を発揮するために必要な閾値とされており、世界トップレベルのモデルと肩を並べるための必須条件です。

マルチモーダル化への進化

Sarashinaの進化はテキストだけに留まりません。「Sarashina2-Vision」のような視覚言語モデルの開発も進められています。これは、画像とテキストを同時に理解するAIであり、日本の道路標識や帳票、製品の外観検査など、日本固有の視覚情報を正確に認識する能力を持っています。このマルチモーダル能力は、後述するロボット事業において、ロボットが「目」で見て状況を判断するために不可欠な技術要素となります。

データ主権とセキュリティの確保

SB Intuitionsのもう一つの重要な提供価値は「データの安全性」です。すべての学習・推論プロセスは日本国内のデータセンターで完結しており、データが国外へ持ち出されることはありません。これは、機密情報を扱う金融機関、医療機関、そして官公庁にとって、海外製クラウドAIを採用する際の法的・コンプライアンス的な障壁をクリアするための決定的な要因となります。

Preferred Networksとの国産AI連合——新会社設立の目的

2025年末、ソフトバンクと日本を代表するAIスタートアップであるPreferred Networks(PFN)、そしてその他十数社の国内企業が出資し、新たなAI開発会社を設立するという構想が明らかになりました。この新会社は、経済産業省による1兆円規模の支援公募に応じる主体となり、まさに「国策AI企業」としての性格を帯びています。

なぜPFNとソフトバンクが手を組んだのか

これまで独自の道を歩んできたPFNがソフトバンクと手を組む背景には、AI開発競争が「資本の殴り合い」のフェーズに突入したという現実があります。最先端のAIモデルを開発するには、数千億円規模の計算資源と電力インフラが必要となり、単独のスタートアップ企業では太刀打ちできない規模になっています。ソフトバンクの資金力・インフラ構築力と、PFNが持つ世界トップクラスの深層学習技術・半導体設計技術を融合させることで、米中のテックジャイアントに対抗しうる開発体制を構築することが、この新会社設立の真の目的です。

ハイブリッド計算基盤戦略——NVIDIAとMN-Coreの融合

この新会社における技術的な最大の注目点は、計算基盤の構成にあります。ソフトバンクはNVIDIAとの強固なパートナーシップにより、最新鋭の「Blackwell」GPUを大量に調達していますが、それだけではコストと電力効率の面で課題が残ります。そこで活用されるのが、PFNが神戸大学と共同開発したAI専用プロセッサ「MN-Core(エムエヌ・コア)」です。

MN-Coreは、汎用性を極限まで削ぎ落とし、深層学習で最も頻繁に行われる「行列演算」に特化したアーキテクチャを採用しています。これにより、電力あたりの演算性能において世界最高レベルを誇ります。新会社の戦略は、汎用的な処理や既存ソフトウェアとの互換性が求められるタスクにはNVIDIA製GPUを使用し、膨大な計算量が求められる学習プロセスには高効率なMN-Coreを投入するという「ハイブリッド構成」をとることにあります。これにより、開発コストと消費電力を劇的に抑制しながら、1兆パラメータ級のモデル構築を実現しようとしています。

国産AI開発を支えるインフラ整備

ソフトバンクの国産AI戦略を支える重要な柱が、物理的なインフラストラクチャーの整備です。AI開発には莫大な計算資源が必要であり、それを支えるデータセンターと電力供給の確保が不可欠となります。

北海道苫小牧の「Brain Data Center」

ソフトバンクは、AI開発の物理的な基盤として、北海道苫小牧市に国内最大級のデータセンター「Brain Data Center(ブレインデータセンター)」を建設しています。2026年度の開業を目指すこの施設は、敷地面積70万平方メートル、受電容量300メガワット超という圧倒的なスケールを誇ります。

苫小牧が選ばれた理由は明確です。第一に「再生可能エネルギー」の活用があります。AIの学習には莫大な電力が必要ですが、北海道の豊富な風力・太陽光発電を活用することで、環境負荷を低減しつつ安定した電源を確保します。第二に「冷涼な気候」があります。発熱するサーバーを冷却するための空調コストはデータセンター運営の大きな負担ですが、北海道の外気を利用することで冷却効率を最大化できます。そして第三に「セキュリティと分散」があります。首都直下型地震などの災害リスクを考慮し、東京・大阪から地理的に離れた場所にコアとなる頭脳を置くことで、日本のデジタルインフラの強靭性を高める狙いがあります。

AI-RAN——通信基地局のスーパーコンピュータ化

ソフトバンク独自の、そして世界でも類を見ないインフラ戦略が「AI-RAN(AI Radio Access Network)」です。これは、全国に20万箇所以上ある携帯電話の基地局を、単なる通信設備から「AI処理も可能なエッジデータセンター」へと変貌させる技術です。

従来の基地局は専用の通信機器を使用していましたが、AI-RANではNVIDIA製の汎用GPUサーバーを用いて通信処理をソフトウェアで行います。重要なのは、通信トラフィックが少ない時間帯や余裕がある計算能力を、AIの推論や学習に転用できるという点です。これにより、日本全国津々浦々に「網の目」のように計算資源が張り巡らされることになります。自動運転車やロボットが、遠くのデータセンターにデータを送ることなく、最寄りの基地局で超低遅延にAI処理を行えるようになるというのが、ソフトバンクが描く「次世代社会インフラ」の姿です。

OpenAIとの合弁事業——ソフトバンクの二刀流戦略

ソフトバンクは国産AIの開発を進める一方で、世界最先端のAIであるOpenAIの技術も積極的に取り入れる「二刀流」戦略を展開しています。この戦略により、国産モデルと海外モデルの両方の強みを活かし、日本企業に最適なソリューションを提供することを目指しています。

SB OAI Japanと「Crystal Intelligence」

ソフトバンクとOpenAIの連携の象徴が、合弁会社「SB OAI Japan合同会社」の設立です。この合弁会社の目的は、OpenAIの最新モデルに、ソフトバンクのコンサルティングやシステム構築ノウハウを付加した企業向けソリューション「Crystal Intelligence(クリスタル・インテリジェンス)」の提供にあります。

国産モデルであるSarashinaが「セキュリティと日本語の機微」を重視する顧客向けであるのに対し、Crystal Intelligenceは「世界最高峰の汎用推論能力」を求める顧客向けという住み分けがなされています。この二刀流戦略により、ソフトバンクは顧客のニーズに応じて最適なAIソリューションを提案できる立場を確立しています。

ソフトバンク自身による徹底的な活用実験

ソフトバンク株式会社自身が、Crystal Intelligenceの最初のユーザーとなり、全社員2万人規模で徹底的な活用実験を行っています。社内の稟議承認プロセスやコード生成、営業資料作成などにAIエージェントを導入し、実際に生産性が向上した事例や、逆に失敗した教訓を蓄積しています。SB OAI Japanは、単にライセンスを再販するのではなく、この「実体験に基づいた導入ノウハウ」をセットで日本企業に提供することで、日本全体のデジタルトランスフォーメーションを加速させようとしています。

ソフトバンクが目指す究極の目的——Physical AIと人工超知能

ソフトバンクの国産AI戦略が目指す究極の地点は、画面の中のチャットボットではなく、現実世界で物理的に作業を行うロボット、すなわち「Physical AI(フィジカルAI)」の実現です。そして、その先には「ASI(人工超知能)」という壮大なビジョンが控えています。

少子高齢化社会への解決策としてのPhysical AI

少子高齢化により労働人口が激減する日本において、物流、建設、介護、家事といった物理的な労働をAIロボットが代替することは、経済成長を維持するための唯一の解とさえ言えます。ソフトバンクの孫正義会長兼社長は、このPhysical AIの実現を通じて、日本社会が直面する労働力不足という構造的課題を解決することを目指しています。

安川電機との提携による「マルチスキル・ロボット」の開発

Physical AIのビジョンを具現化するために、ソフトバンクは産業用ロボットの世界的リーダーである安川電機との提携を発表しました。このプロジェクトでは、ソフトバンクのAI-RANやSarashina(特に視覚言語モデル)と、安川電機の精密なロボット制御技術を融合させます。

従来のロボットは「アームを右に10cm動かす」といった厳密なプログラミングが必要で、決まった動作しかできませんでした。しかし、Physical AIを搭載したロボットは、「机の上を片付けて」という曖昧な指示に対し、カメラで状況を認識し、自ら動作を生成して実行することができます。ソフトバンクと安川電機は、オフィスビル内で清掃、警備、配送といった複数の業務を1台でこなす「マルチスキル・ロボット」の実用化を目指しており、これはまさにAIが「身体性」を獲得する瞬間と言えます。

ASI(人工超知能)への道程

これら全ての取り組み——国産LLM、計算インフラ、ロボット工学——は、孫正義氏が提唱する「ASI(Artificial Superintelligence:人工超知能)」の実現へと収斂します。ASIとは、人間の英知の1万倍の能力を持つAIであり、人類が抱える難病の克服やエネルギー問題の解決など、従来の科学技術では不可能だった課題を解決する力を持つとされています。

ソフトバンクの新会社設立ラッシュは、このASI時代において、日本が単なる「消費者」ではなく「創造者」の一員となるための布石です。自前のデータセンターで、自前の半導体とGPUを回し、自前のモデルを育て、それを自前のロボットに実装するという垂直統合されたエコシステムこそが、ソフトバンクが目指す「国産AI」の真の姿なのです。

ソフトバンクの投資会社から事業運営会社への転換

2023年から2025年にかけて、ソフトバンクグループは世界的なテクノロジー企業への「投資」を主軸としてきた戦略から、自らがAIの開発・運用・社会実装を行う「事業運営」へと、重心を劇的にシフトさせました。この変革の背景には、生成AIの爆発的な普及と、それに伴う地政学的なリスクの高まりがあります。

かつて「群戦略」として世界のユニコーン企業への投資を通じて情報革命を牽引しようとしたソフトバンクは今、自らが環境の変化に適応できずに取り残される存在になることを恐れ、AIという新たな産業革命のエンジンを自社で製造し、コントロールする道を選びました。この決断は、ソフトバンクグループの歴史における最大の転換点の一つとして記録されることでしょう。

まとめ——日本のAI産業の未来を担う挑戦

ソフトバンクによる一連の国産AI新会社の設立と事業展開は、単なる一企業の新規事業ではありません。それは、デジタル敗戦の危機に瀕した日本が、来るべきAI時代において主権と競争力を取り戻すための、官民を挙げた反転攻勢の始まりです。

SB Intuitionsによる日本語特化モデルの開発は、日本の文化と言語を守るための知的防衛線としての役割を担っています。PFNとの新会社による計算基盤の整備は、海外テクノロジーへの過度な依存を脱却するための産業基盤の強化を意味します。そして、安川電機とのPhysical AI開発は、人口減少社会という日本の最大の弱みを、ロボット大国という強みへ転換するための社会的処方箋となっています。

2026年の苫小牧データセンター稼働、そして1兆パラメータモデルの完成に向け、ソフトバンクの挑戦は加速しています。これらのプロジェクトが成功するか否かは、ソフトバンク一社の業績を超えて、21世紀後半における日本の国際的地位を左右する重要な試金石となるでしょう。私たち消費者や企業も、これらの国産技術がどのようにサービスとして提供され、生活やビジネスを変えていくのか、その進展を注視し、積極的に活用していく段階に入っています。

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