公立学校教職員の精神疾患による休職者数が、2年連続で7,000人を超えました。文部科学省の人事行政状況調査によると、令和5年度(2023年度)は過去最多の7,119人、令和6年度(2024年度)も7,087人を記録し、教育現場における深刻な危機が浮き彫りとなりました。全教育職員の約0.77%、およそ130人に1人が心の病によって教壇を離れざるを得ない状況に追い込まれており、日本の公教育システムは前例のない人的資源の損耗に直面しています。
この数字は一時的な統計上の変動ではなく、教育現場そのものが構造的な問題を抱えていることの証左です。本記事では、なぜ教職員の精神疾患休職がこれほどまでに増加したのか、その背景にある複合的な要因と、教育現場への影響、そして今後の展望について詳しく解説します。

教職員の精神疾患休職者数が過去最多水準で推移している現状
教職員の精神疾患による休職者数は、ここ数年で急激な増加を見せています。令和5年度に記録した7,119人という数字は、教育行政史上最多となりました。続く令和6年度においても7,087人と、わずか32人の減少にとどまり、実質的には高止まりの状態が続いています。
過去10年以上にわたり、教職員の精神疾患による休職者数は増加トレンドにありました。平成20年代には5,000人前後で推移していましたが、平成21年・22年頃に一度ピークを迎えた後も高止まりが続き、令和に入ってから急増局面を迎えました。特に令和4年度の6,539人から令和5年度の7,119人への増加は顕著で、単年度で580人もの増加幅を記録しました。これは現場環境の悪化が加速していることを示しています。
3年連続で過去最多を更新するという最悪の事態こそ免れたものの、7,000人台という数字が定着した事実は極めて重い意味を持ちます。どの学校でも「次は自分かもしれない」という不安が日常的に存在するレベルであり、異常事態が常態化した状況と言えるでしょう。
若手教員の消耗が深刻な問題となっている実態
休職者のデータを分析する上で、最も憂慮すべき事実は「在職期間」に関する内訳にあります。精神疾患により休職した教員のうち、採用から3年未満の若手教員が全体の6割以上を占めているという深刻な実態が明らかになっています。
通常、組織におけるメンタルヘルス不調は、責任の重い中間管理職や、身体的な変化と重なるベテラン層に多く見られる傾向があります。しかし、学校現場ではこれから教育界を担うはずの若手が、キャリアの最初期において次々と心を折られているのです。年代別に見ると30代の休職者が2,128人と最多であり、次いで40代、50代と続きますが、比率的には若年層の損耗率が際立っています。
大学を卒業し、希望に燃えて教壇に立った若者が、わずか数年、あるいは数ヶ月で絶望し、心を病んでいくという現実は極めて残酷です。新規採用教員に対するメンター制度や研修体制が十分に機能していない可能性があり、また「若手ならいくらでも無理がきく」という旧態依然とした組織風土と現代の複雑化した教育現場の負荷がミスマッチを起こしていることも考えられます。
性別では女性の休職者が4,253人、男性が2,866人と、実数においては女性が多くなっています。これは教員全体の男女比、特に小学校における女性教員の多さを考慮する必要がありますが、女性教員が出産や育児といったライフイベントと過酷な業務の両立に悩み、メンタルダウンに追い込まれている側面は否定できません。
校種別に見ると、小学校、中学校、特別支援学校の順で休職者が多くなっています。近年の傾向として特に注目すべきは、特別支援学校や特別支援学級における負担増です。個別の配慮が必要な児童生徒の急増に対し、専門性を持った教員の配置が追いついておらず、通常学級の担任が特別支援的な対応に追われるケースも増えています。なお、女性管理職(校長、副校長、教頭)の割合は過去最高の24.9%に達しましたが、管理職自身も多忙を極めており、部下のメンタルケアに十分な時間を割けないジレンマを抱えています。
精神疾患の主な要因となっている「児童・生徒への指導」の困難さ
文部科学省の調査では、精神疾患に至った要因として「児童・生徒への指導」「職場の対人関係」「業務内容」が主なものとして挙げられています。中でも「児童・生徒に対する指導そのものに関すること」が要因のトップを占め、約26.5%に達しました。
現代の教室では、発達障害の診断を受けている子、診断は受けていないがいわゆるグレーゾーンにある子、日本語指導が必要な外国籍の子、貧困や虐待など家庭環境に課題を抱える子などが、通常の学級に混在しています。インクルーシブ教育という理念の下、これらの多様なニーズを持つ子どもたちを担任一人の力量でまとめ上げることが求められているのです。
授業中に立ち歩いたり、突発的に暴れたり、衝動的に教室を飛び出したりする行動に対し、教員は授業を中断して対応せざるを得ません。突然大声を上げる児童がいれば、その対応に追われ、他の30人の児童の学習が止まってしまいます。学級崩壊の危機に直面しながら、「あの子をなんとかして」という他の保護者からの圧力と、「個別のニーズに応えて排除しないで」という人権的な要請の板挟みになるのです。真面目な教員ほど「自分の指導力が足りないからだ」と自責の念に駆られ、精神を病んでいく傾向があります。
職場の対人関係が孤立を生み出している問題
第2の要因である「職場の対人関係」は約23.6%を占めています。かつての職員室には、放課後にお茶を飲みながら先輩が後輩の愚痴を聞き、指導のコツを伝授するといったゆとりや雑談の文化がありました。しかし現在は、全員が分刻みのスケジュールで動いており、休憩時間さえ確保できない状況です。
アンケート調査では、休憩時間を全く取得できていない教職員が半数に上るというデータも存在します。隣の席の同僚が何に悩んでいるかを知る余裕もなく、若手教員は誰にも相談できずに孤立を深めていきます。管理職自身も労働時間管理に追われ、部下の顔色を見る余裕を失っているのが現状です。
パワーハラスメント的な指導を行う上司や、事なかれ主義でトラブルを隠蔽しようとする管理職の存在も、教員の精神を追い詰める要因となっています。相談できる相手がいる場合はまだ救いがありますが、異動したばかりの環境や年齢構成がいびつな学校では、孤独感が増幅されてしまいます。
膨大な事務作業が教員を圧迫している現状
「業務内容(事務的な業務に関すること)」は13.2%を占めています。教員の仕事は授業だけではありません。校務分掌と呼ばれる学校運営に関わる業務、膨大なアンケート調査への回答、指導要録や通知表の作成、GIGAスクール構想に伴うタブレット端末の管理など、事務作業は年々増加の一途をたどっています。
特に「調査対応」の負担は深刻です。国や教育委員会から降りてくる様々な調査物に回答するために、子どもたちと向き合う時間を削り、残業して書類を作成する本末転倒な状況が常態化しています。ICT化によって業務効率化が進むはずが、逆にデジタルとアナログの二重管理が発生し、負担が増している現場も少なくありません。
モンスターペアレントへの対応が教員を追い詰めている実態
統計上の項目では「保護者対応」は比較的低い割合に見えることがありますが、現場感覚としては、これがメンタルダウンの最大の引き金になっているケースが極めて多いのが実情です。
理不尽な要求を繰り返す保護者、いわゆるモンスターペアレントへの対応は、教員の自尊心を深く傷つけます。「成績を上げろ」「特別扱いしろ」といった過剰な要求型から、「宿題を減らせ」「他の子と比較してうちの子を優遇しろ」といった過干渉型まで、そのタイプは様々です。
近年特に顕著なのが「攻撃・威圧型」の保護者です。学校や教職員に対し、冷静な話し合いではなく、怒鳴る、脅す、人格否定や誹謗中傷を行うケースが増えています。電話が鳴るたびに動悸がする、保護者の着信履歴を見るだけで手が震えるといった症状を訴える教員は少なくありません。SNSや口コミサイトでネガティブな情報を拡散したり、事実無根の噂を流したりするケースもあり、教員は24時間監視されているようなストレスに晒されています。
「訴えるぞ」「弁護士を入れる」といった言葉が日常的に飛び交う状況も増えており、学校側に非がない場合でも訴訟リスクを回避するために謝罪を強要されることがあります。教員は教育者としての誇りや信念を持つ以前に、訴訟リスクに怯える立場に追い込まれてしまうのです。
夜中や休日を問わず連絡が来ることも、教員の休息を奪う深刻な問題です。「保護者も保育していく時代」という言葉に象徴されるように、子どもだけでなく親の精神的ケアまで求められる現状に、現場の疲弊はピークに達しています。奈良県天理市のように保護者対応の専門窓口を設置して教員の負担を軽減しようとする自治体も現れ始めていますが、全国的な普及には至っていません。
給特法が生み出した「定額働かせ放題」という構造的問題
教員の長時間労働を正当化する元凶として批判されているのが「給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)」です。1971年に制定されたこの法律は、教職の特殊性を鑑み、月給の4%相当の「教職調整額」を一律支給する代わりに、時間外勤務手当(残業代)を支給しないと定めています。制定当時、教員の残業時間は月8時間程度と想定されていました。
しかし半世紀が経過した現在、文部科学省の調査でも過労死ライン(月80時間超の残業)を超える教員が多数存在することが明らかになっています。教員の1ヶ月の時間外在校等時間が96時間に達し、上限である45時間はおろか過労死ラインすら大幅に超えている実態が報告されていますが、それでも残業代は支給されません。
この仕組みは「定額働かせ放題」と揶揄され、管理者側の「残業を減らそう」「業務を精選しよう」というインセンティブを削ぐ結果となっています。現在、政府は教員不足解消や処遇改善の一環として、教職調整額を現行の4%から10%以上に引き上げる改正案を検討していますが、現場からは「調整額が増えても、業務量が減らなければ意味がない」という冷ややかな声が上がっています。長時間労働の実態が変わらなければ、「定額働かせ放題」の構造は温存されたままだからです。
教員不足が引き起こす負の連鎖の深刻さ
精神疾患による休職者が増えれば、その穴を埋める代替教員が必要になります。しかし現在、全国的に深刻な教員不足が発生しており、欠員補充がままならない状況です。年度当初から教員不足が生じている学校は少なくなく、年度途中で産休・育休や病気休職者が出ると代わりが見つからず、欠員状態が慢性化してしまいます。
ある小学校では、担任が精神疾患で休職したものの代わりの教員が見つからず、教頭や教務主任が交代で担任業務を行ったり、既に担任を持っている隣のクラスの教員が2クラス同時に授業を行ったりする事態が発生しています。特別支援学級では、担任が次々と倒れ、最後は一人になってしまうという悲惨なケースも報告されています。
これは残された教員の負担を激増させ、その教員までもが連鎖的に倒れていくという「負のドミノ倒し」を引き起こします。欠員が生じた学校の現場は、まさに野戦病院のような様相を呈しており、教育活動の維持すら困難な状況に陥っているのです。
「ブラック職場」というイメージが定着したことで、教員採用試験の志願者数は減少の一途をたどっています。かつては高倍率を誇った自治体でも、倍率が1倍台となるケースが出てきており、教員の質の低下に直結する懸念があります。適性に疑問がある人材が教壇に立つことで、学級崩壊や不適切な指導のリスクが高まり、そうした新任教員が現場の厳しさに耐えられず早期に休職・退職するという悪循環が形成されています。
教員の休職が子どもたちに与える深刻な影響
教員が倒れることの最大の被害者は、言うまでもなく子どもたちです。教員の休職や欠員は、子どもたちの学習権や安全を直接的に脅かしています。
教員が不足すると、授業を正規の教員で行うことができず「自習」が増加します。ドリルなどの自習時間が増え、大人がいない時間帯ができるため、子ども同士のトラブルが頻発しているという証言もあります。中学校では免許外の教科を担任が教えるといった緊急避難的な措置が常態化している学校もあり、授業の質が担保されません。教員自身も授業準備にかける時間を削らざるを得ず、「授業がわかりにくい」「つまらない」という子どもたちの不満につながっています。
年度途中で担任が代わることは、子どもたちにとって大きな心理的動揺を与えます。「先生がいなくなったのは自分たちのせいではないか」と不安を感じたり、新しい先生に対して試し行動をとったりすることで、学級が不安定になります。精神疾患で突然来られなくなった場合、子どもたちへの説明も難しく、きちんとしたお別れもできないまま関係が断絶してしまいます。これが繰り返されると、子どもたちは大人に対する不信感を募らせ、学校全体の荒れにつながるリスクがあります。
復職への道のりが険しい現実と再発の問題
一度精神疾患で休職した教員が教壇に戻ることは、想像以上に困難です。データによれば、再休職の時期として「復職後6か月未満」が最も多く、約23%に達しています。復職後1年以内に再び休職に追い込まれる教員が相当数に上る現実があります。
休職中に症状が改善し、リワークプログラム等で準備を整えたとしても、復職した瞬間に原因となった環境、すなわち過重労働や人間関係、保護者対応といった問題が変わっていなければ、容易に再発してしまうのです。真面目で責任感の強い教員ほど「今度こそ迷惑をかけられない」「早く戦力にならなければ」と無理をしてしまい、前回よりも深い傷を負って再ダウンするケースが後を絶ちません。
リワークプログラムを経ても、施設という守られた環境と実際の学校現場という過酷な環境には埋めがたいギャップがあります。「リワークでは順調だったが、復職後に人間関係のトラブルや業務の多忙さに直面し、自信を失った」という声も聞かれます。復職時の配慮も学校によってまちまちで、十分な配慮が得られずいきなりフルタイムに近い業務を任され、再休職に至るケースもあります。
休職に至る教員の症状は多岐にわたります。不眠や食欲不振といった初期症状から始まり、重度のうつ状態、さらには自傷行為や自殺企図に至る深刻な事例も報告されています。「学校に行こうとすると体が動かない」「自分の噂をされている気がする」といった症状は、教員としての職務遂行能力を奪うだけでなく、一人の人間としての尊厳をも脅かすものです。
働き方改革による改善の取り組みと成功事例
暗い話題が続く中で、現場レベルで状況を改善しようとする働き方改革の成功事例も生まれつつあります。茨城県の学校では、教職員一人一人の超過勤務時間を毎月個票として配布し、職員室に「かえるボード」を設置することで業務の「見える化」を図りました。職員同士がお互いに声を掛け合い、早く帰る雰囲気を作ることに成功しています。
「この仕事は本当に必要か」を問い直し、行事の準備や会議時間を短縮するなど、限られた時間の中で効率的に働く意識が高まりました。管理職が個人の残業時間を把握することで、高負荷になっている教員に対して個別にケアを行うことも可能になり、孤立を防ぐ効果も上げています。
福岡県の小学校では、クラウド活用によって会議資料をペーパーレス化し、印刷や配布の手間を削減しました。部活動改革として地域移行や複数顧問制を導入し、教員の休日出勤を減らす取り組みも行われています。平日のPTA作業を導入して土日の負担を減らすなど、保護者の理解を得ながら働き方を変えていく試みも効果を上げています。
1コマの授業時間内で会議を終わらせるルールを設定したり、定時退勤日を設けたりといった基本的な取り組みも、塵も積もれば山となり、教員の心に余裕を生み出すきっかけとなっています。こうした小さな改革の積み重ねが、教員の精神的な負担軽減につながる可能性を示しています。
今後求められる抜本的な改革の方向性
2年連続で7,000人を超える教職員の精神疾患休職者という数字は、日本の公教育が発しているSOSです。教員が倒れるということは、その教員が担当していた数十人の子どもたちが学びの導き手を失うことを意味します。不安定な学校環境は子どもたちの心にも不安を伝染させ、学力低下や不登校の増加といった形で社会全体に跳ね返ってきます。
今求められているのは対症療法的な支援だけではありません。給特法の抜本的見直しによる長時間労働の是正、教員定数の大幅増による一人当たりの負担軽減、そして社会全体が学校と教員に対する過剰な要求を見直し、「教員も一人の人間である」という当たり前の事実を尊重することが必要です。政府が進めようとしている調整額10%増などの施策も、単なる手当の増額に終わらず、実質的な業務削減とセットで進められなければ効果は限定的でしょう。
7,119人、そして7,087人という数字の一人ひとりに苦悩の物語があり、守るべき生活があり、志半ばで教壇を去った無念がありました。これ以上の犠牲者を出さないための議論と行動を今すぐに始める必要があります。学校を守ることは、日本の未来を守ることと同義なのです。


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