瀬戸内海の養殖カキ大量死の原因は?水温上昇と貧栄養化の複合被害を解説

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瀬戸内海の養殖カキ大量死の原因は、2024年夏から秋にかけての記録的な水温上昇です。平年より約2.4℃高い海水温が長期間続いたことで、産卵後のカキが体力を回復できず、広島県・岡山県・兵庫県の主要産地で壊滅的な被害が発生しました。日本のカキ生産量の約8割を担う瀬戸内海で、へい死率が最大8割に達するという前例のない事態となっています。

この深刻な被害は、単なる一過性の気象要因ではなく、高水温に加えて高塩分、そして長年の環境政策がもたらした「貧栄養化」という複合的なストレスが重なった結果です。「海のミルク」と呼ばれ、冬の味覚として日本の食文化を支えてきたカキが危機に瀕しており、生産者からは「何十年もやってきてこんなことは初めて」という悲痛な声が上がっています。この記事では、瀬戸内海で起きている養殖カキ大量死の被害実態、科学的に解明された原因、そして今後の対策について詳しく解説します。

瀬戸内海の養殖カキ大量死とは

瀬戸内海の養殖カキ大量死とは、2023年から2025年にかけて広島県、岡山県、兵庫県の養殖カキ産地で発生した、過去に例を見ない規模のへい死現象のことです。この3県は日本の養殖カキ生産量の約81%を占めており、瀬戸内海全域で同時多発的に被害が広がったことは、日本のカキ供給システム全体が機能不全に陥ったことを意味しています。

特に深刻なのは、収穫期を目前に控えたカキが次々と口を開けて死んでいく状況です。生産現場からは「全滅」「壊滅」といった報告が相次ぎ、生産者が手塩にかけて育てたカキの多くが商品として出荷できない事態となりました。被害は「量」だけでなく「質」にも及んでおり、生き残ったカキでも身入りが悪く水っぽい状態、いわゆる「水ガキ」が多く見られています。このようなカキは加熱すると極端に縮んでしまうため、市場価値を持たないのです。

今回の大量死が従来の被害と大きく異なる点は、特定の湾や海域に限られた現象ではなく、瀬戸内海のほぼ全域で同時に発生したことです。過去にも赤潮被害や台風被害はありましたが、これほど広範囲かつ深刻な被害は記録されていません。カキ養殖は採苗から出荷までに1年から2年を要するサイクル産業であるため、今シーズンの被害だけでなく、来シーズン出荷予定の稚貝(種ガキ)まで失われたことで、翌年度以降の生産基盤そのものが揺らいでいます。

養殖カキ大量死の原因は水温上昇による複合ストレス

記録的な高水温の持続がカキを追い詰めた

養殖カキ大量死の最大の原因として特定されているのは、記録的な高水温の持続です。広島県立水産海洋技術センターの観測データによれば、広島湾を含む県中部から東部の海域において、2024年9月の海水温は平年より平均で2.4℃も高い状態が続きました。海洋において2℃以上の水温上昇が1ヶ月以上続くことは、極めて異常な事態といえます。

カキは変温動物であり、その代謝速度は水温に直接支配されます。生物学では「Q10温度係数」という概念があり、一般に代謝速度は温度が10℃上がると2倍から3倍になるとされています。水温が平年より2.4℃高いということは、カキの基礎代謝量が通常よりも大幅に増大していたことを意味します。

通常、カキは夏場に産卵を行い、産卵後は極度の疲労状態になります。例年であれば、お盆を過ぎる頃から水温が下がり始め、カキは代謝を落として休息し、徐々に体力を回復させます。しかし、2024年は9月に入っても真夏のような高水温が持続したため、産卵でエネルギーを使い果たしたカキは休むことなく高い代謝を維持することを強制されました。この状態は「重病人が高熱を出したまま、マラソンを走り続けさせられた」ようなものであり、エネルギー枯渇による生理機能の破綻が大量死の直接的な引き金となりました。

高塩分による浸透圧ストレスの追い打ち

高水温に加えて、2024年の特異な気象条件として「少雨」が挙げられます。これによりもたらされた「高塩分」が、カキを追い詰める決定的な要因となりました。

マガキは本来、河口付近の汽水域を進化の揺り籠としてきた生物であり、ある程度の低塩分環境には適応していますが、高塩分かつ高水温という環境には弱い側面を持っています。2024年の夏から秋にかけては、台風の接近が少なく、まとまった降雨がなかったため、太田川などの主要河川から瀬戸内海への淡水流入量が極端に減少しました。

閉鎖性海域である瀬戸内海では、淡水の供給が絶たれると蒸発により塩分濃度が上昇し、高止まりする傾向があります。生物にとって、体液の塩分濃度を調整する浸透圧調整は多大なエネルギーを消費するプロセスです。高水温による代謝亢進と産卵後の疲弊でエネルギーが枯渇しているカキにとって、高塩分環境下での恒常性維持に割く余力は残されていませんでした。広島県立水産海洋技術センターの担当者が「高温と高塩分という二つの負荷が重なったことで、生理的な不調を起こした」と分析しているように、この「二重の苦しみ」が限界を迎えた個体から順に死に至らしめたのです。

産卵の長期化と大型個体の脆弱性

今回の大量死で特徴的だったのは、大きく成長したカキほど死亡率が高かったという点です。岡山県の生産者からの報告によれば、通常は8月頃までに終了する産卵が、2024年は海水温が下がらなかったため9月中旬頃までダラダラと続きました。産卵期が長期化すればするほど、カキの体力は削がれていきます。

カキなどの二枚貝において、体が大きい個体ほど高水温に対する耐性が低いという研究結果があります。大型の個体は基礎代謝による酸素消費量やエネルギー消費量が相対的に高く、環境ストレスに対して脆弱になる傾向があります。また、大型の個体ほど生殖巣が発達しており、産卵によるエネルギー損失の絶対量が大きくなります。2年ものや3年ものといった大粒のカキは、大量の卵や精子を放出した結果、体内のグリコーゲンを完全に使い果たしてしまいました。これが岡山県などで「2年もの」のへい死率が8割を超えた生物学的な理由です。

広島県・岡山県・兵庫県の被害状況

広島県では生産量日本一の産地が全域的に被害

日本のカキ生産量の約6割を占める広島県において、今回の被害は極めて広範囲かつ深刻なものでした。2024年秋の調査段階で、被害は県内の養殖海域のほぼ全域に拡大しており、特定の湾や海域に限局した現象ではないことが明らかになっています。

特に被害が甚大だったのは呉市から東部の海域にかけてです。坂町周辺の漁場では「全滅に近い」という報告がなされ、広島市周辺の漁場でも、9月時点では1割程度と見積もられていたへい死率が、10月に入ると5割へと急増しました。福山市などの東部地域でも10月中旬以降にへい死が急増し、出荷を予定していたカキの多くが商品価値を失いました。

呉市の中野水産の報告によれば、今シーズン(2025年出荷分)のいかだだけでなく、来シーズン出荷予定のいかだのカキまでがへい死しており、年内売上の7割以上が減少する見込みとされています。生産者からは「生きた心地がしない。この何十年でこんなのは初めてだ」という声が上がっており、過去の赤潮被害や台風被害と比較しても、今回の事態がいかに異質であるかが窺えます。広島かき生産者応援隊の生産者は、「海水温が高すぎた影響で海中のプランクトンが急激に増減し、それを餌にするカキがお腹を壊し、下痢をしているようなイメージ」と表現しており、高水温による代謝異常と餌環境の悪化が同時に進行していたことを示す貴重な現場の観察です。

岡山県では高品質な2年ものが壊滅的打撃

広島県に次ぐ生産量を誇る岡山県においても、被害の深刻さは同様、あるいはそれ以上のものでした。日生町、牛窓町、笠岡市などの主要漁場において、当歳(1年もの)のカキのへい死率は16%から72%に達しました。さらに深刻なのは、より大きく育てて付加価値を高める「2年もの(通称:ノコシ)」の被害です。調査によれば、2年もののへい死率は73%から83%という極めて高い数値を記録しました。例年の平均的なへい死率は20%から30%程度とされており、今回はその3倍から4倍に達する異常事態です。

岡山県のカキ養殖は、カキを大きく育てる技術に長けており、特に加熱用として身の縮みにくい大型のカキが市場で高く評価されてきました。しかし、体が大きくエネルギー要求量の高い個体ほど高水温のダメージを強く受けやすいため、今回はその「大型化戦略」が裏目に出る形となりました。備前市の栄勝丸の生産者は、「現在は、大きくなったカキも死んでおり、販売できるカキがない状態」と証言しており、手塩にかけて育てた高品質なカキほど全滅するという、生産者にとって精神的にも経済的にも耐え難い状況が現出しています。

兵庫県では播磨灘で8割が死滅

瀬戸内海東部に位置する兵庫県・播磨灘でも、被害は劇的でした。例年であればへい死率は2割から5割程度に収まっていましたが、今シーズンは最大で8割が死滅するという事態に見舞われています。

兵庫県のカキ、特に「一年ガキ」として知られる播磨灘のカキは、成長が早く、加熱しても縮みにくいことが特徴でした。この海域全体で8割もの個体が失われたことは、関西圏への供給網に巨大な穴を開けることを意味します。

瀬戸内海の「きれいすぎる海」がカキを弱らせた

貧栄養化という構造的な問題

今回の大量死は、単年度の気象条件だけでなく、数十年単位で変化してきた瀬戸内海の水質環境、いわゆる「貧栄養化」という構造的な問題の上に成り立っています。

かつて1960年代から70年代の高度経済成長期、瀬戸内海は工場排水や生活排水による深刻な汚染に見舞われ、「瀕死の海」と呼ばれました。赤潮が頻発し、養殖魚が大量死する公害問題が社会問題化したことを受け、国は「瀬戸内海環境保全特別措置法(瀬戸内法)」を制定し、世界でも類を見ない厳しい排水規制を実施しました。窒素やリンの総量規制が導入され、長年にわたる官民挙げた努力の結果、瀬戸内海の水質は劇的に改善し、透明度の高い「きれいな海」を取り戻すことに成功しました。

海が「きれいになりすぎた」結果

しかし、2000年代以降、新たな問題が顕在化し始めました。海が「きれいになりすぎた」のです。窒素やリンといった栄養塩が極端に減少し、植物プランクトンが育たない「貧栄養」の状態に陥りました。植物プランクトンは海洋生態系の底辺を支える生産者であり、カキやイワシ、イカナゴなどの重要な餌資源です。栄養塩の不足は植物プランクトンの減少を招き、それを食べるカキの成長不良や、ノリの色落ち、漁獲量の激減を引き起こしました。漁業者の間では、これを「海の砂漠化」と呼ぶ声もあります。

貧栄養と高水温の悪循環

貧栄養な海で育つカキは、慢性的な飢餓状態に近い環境に置かれています。十分な餌が供給されていれば、高水温によって代謝が上がっても、餌を大量に食べることでエネルギー収支をプラスに保ち、生存することが可能です。しかし、現在の瀬戸内海は、餌が少ない中で高水温にさらされるという最悪のコンディションにあります。

「餌がないのに代謝だけが上がる」状態では、カキは自身の体を分解してエネルギーを作り出すしかありません。これがグリコーゲンの枯渇を加速させ、最終的なへい死へとつながります。安定した餌の供給がないため、カキは体力を温存できず、環境変動に対する回復力を失っていたのです。

気象庁の長期的な観測データを見ても、瀬戸内海の水温上昇トレンドは顕著です。過去28年間で、瀬戸内海全域の水温は約1.0℃上昇しており、世界平均の海面水温上昇率の2倍以上のペースで温暖化が進行しています。特に、冬季の最低水温の上昇が著しく、これがカキの冬眠的な休息期間を奪っている可能性も指摘されています。

カキ大量死がもたらす経済的・社会的影響

数百億円規模の経済損失と廃業の危機

カキの大量死は、単なる第一次産業の被害にとどまらず、加工、流通、観光、そして地域コミュニティ全体に深刻な影響を及ぼしています。直接的な被害額は公表されている補正予算規模等から推測するに、数百億円規模に達する可能性があります。広島県だけでも、へい死対策として30億円規模の融資枠を設定しており、被害の実態がいかに巨額であるかを物語っています。

特に中小規模の養殖業者にとって、売上の7割から8割を失うことは致命的です。養殖業は、いかだの設置、種苗の購入、船の燃料代、人件費など、出荷前に多額の経費がかかる先行投資型のビジネスモデルです。収入が途絶えれば、借金の返済はおろか、次期作の準備資金すら確保できません。「もう廃業するしかない」という声が多くの生産者から上がっており、地域の伝統産業が消滅の危機に瀕しています。

観光・飲食産業への波及効果

冬の瀬戸内観光の目玉である「カキ」の不在は、地域経済に冷水を浴びせています。宮島かき祭りや呉市のイベントなど、毎年数万人を集客する主要なカキ祭りが、提供するカキを確保できないという前代未聞の理由で中止に追い込まれました。

また、全国的な人気を誇る「ふるさと納税」の返礼品としても、一部自治体が受付を停止せざるを得なくなりました。カキ小屋やオイスターバーなどの飲食店でも、仕入れ価格の高騰やメニューの制限が相次いでいます。東海地方などの消費地では、広島産カキの入荷が減少し、価格上昇と粒の小型化が進んでおり、消費者の「カキ離れ」を招く懸念も浮上しています。

養殖カキ大量死への対策と今後の展望

緊急の経済支援策

当面の倒産を防ぐため、水産庁と関係県は緊急の金融支援策を講じています。水産庁が2025年12月にまとめた支援パッケージでは、被害を受けた養殖業者に対し、年間運営費の半分または600万円を上限とする融資枠を設け、最初の5年間は実質無利子とする措置が決定されました。

広島県も12月補正予算において、30億円の融資枠に加え、次期種苗の購入費助成や、へい死したカキの殻処理費用の補助、さらには外国人技能実習生の雇用維持支援(一時的な他職種への従事許可)など、きめ細かい支援策を打ち出しています。これは、生産者が意欲を失い離職することを防ぐための、ギリギリの防衛線です。

「豊かな海づくり」への政策転換

根本的な解決策として進められているのが、水質管理政策の転換です。兵庫県は全国に先駆けて、下水処理場の運転管理を調整し、冬場にあえて窒素やリンを海に流す「季節別運転」や、海底耕耘による栄養塩の巻き上げを実施しています。これは「きれいすぎる海」から「豊かで多様性のある海」への回帰を目指すものであり、大阪湾や播磨灘の一部では、ノリの色落ち改善などの効果が見られ始めています。

環境省も瀬戸内法の運用を見直し、栄養塩の管理目標値を設定できる制度を導入しました。今後、広島県や岡山県でも、それぞれの海域特性に合わせた栄養塩供給の取り組みが加速すると予想されます。しかし、一度失われた生態系のバランスを取り戻すには長い時間を要するため、即効性は期待しにくいのが現状です。

気候変動に適応する養殖技術の革新

現場レベルでは、高水温時代を生き抜くための技術革新が急務となっています。一つは、物理的に高水温を回避する手法です。広島県の研究では、夏場の高水温期にカキいかだの垂下連を水深10メートル以深に沈めることで、表層よりも数度低い水温環境を作り出し、カキの消耗を抑える効果が確認されています。水深を変えることで4.9℃の水温低下効果が得られ、グリコーゲン含量の低下を防ぐことが実証されています。

広島県が開発した三倍体カキ「かき小町」は、産卵しないため夏痩せせず、高水温にも強いと期待されていました。しかし、今回の2024年の極端な環境下では、この「かき小町」でさえもへい死を免れなかったという報告があります。これは、環境変化のスピードが品種改良の想定を超えていることを示しています。今後は、生存率の高い個体を選抜育種し、より高水温に耐えうる遺伝系統を確立する研究や、東北地方で行われている「温湯処理」の瀬戸内版導入など、ハード・ソフト両面での技術開発が生存競争の鍵を握ります。

リスク分散の観点から、2年ものの大粒カキへの依存度を下げ、1年で出荷する「短期養殖」へのシフトも検討されています。付加価値は下がるものの、夏を2回越すリスクを回避し、確実に現金化できるサイクルを作ることで、経営の安定化を図る戦略です。

まとめ:瀬戸内海のカキ養殖の未来に向けて

2023年から2025年にかけての瀬戸内海カキ大量死は、気候変動がもたらす海洋環境の変化が、もはや「異常気象」ではなく「新たな常態」になりつつあることを示しています。水温30℃を超える夏の海は、従来のカキ養殖の常識が通用しない世界です。

必要なのは、海が変わりつつあることを直視し、栄養塩管理による基礎生産力の回復、高水温適応型の養殖技術への転換、そしてリスクを前提とした経営モデルの構築を、産官学が一体となって進めることです。消費者である私たちも、カキが「自然の猛威と闘いながら作られる貴重な資源」であることを再認識し、価格やサイズだけでなく、その背景にある生産者の努力と環境コストを理解した上で消費行動を選択する必要があります。日本の食文化の至宝である瀬戸内海のカキを守れるかどうかは、これからの数年間の具体的な行動にかかっています。

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